【テクスト】
2026年1~3月
(読書記録)『歌集 死なない猫を継ぐ』(山中千瀬:著、典々堂、2025)
2026.02.12
短歌集です(※川柳も載っています)。
表紙が、グレーの優しい手触りの地に、パフェやケーキでお茶をする人二人を薄い青一色でかわいく描いたイラストが貼られています。このイラスト内の一人(髪型はツインテールで、パフェを口にしている)は、座っている椅子の脇にとげをたくさん生やした棍棒(野球のバットをゲバ棒に仕立てたもののようにも見える)を立て掛けていたり、持ち歩いているぬいぐるみ?に窓の外の景色を見せてあげていたり(外には謎の巨人がいる)、大切な人と語らう時間やそこで用意するお菓子の甘やかさと世界や社会の苛烈さとを、目に優しいタッチとトーンのイラストで感じさせてくれるように思います。
短歌の歴史、およびフェミニズムとしての/抵抗としての文学の歴史に残るべき一冊だと感じました。
暴力から生まれた暴力太郎から生まれた暴力太郎太郎、あたしは 山中千瀬
永劫回帰のなかで何度も死ぬ犬が何度もはちみつを好きになる
ちぎれそう 予告みたいにレズビアンと言えばこんなにとおい夕暮れ
光として降るしかない雨たちを連れ映画は何度も父母を産む
あたしたちは死なない猫を継ぐ種族 本棚の本まじらせながら
おっぱいの役割は<やわらかい>だけでいい 夏服のしろのやさしさ
死(スメルチ)が女性名詞と知るときの さいごに老女の手をとる女
リリックと離陸の音で遊ぶとき着陸はない 着陸はない
折句として作られた歌も多く載っています。引用一首目は最終章として置かれた連作「ぜんぶ夢の話(だとしても)」内の一首、引用二首目は全首植物の名前の折句で構成されている連作「花図鑑より」内の一首。
それはなお続くはるさめ 銀河まで寄ろうそのあと嘘をゆるそう
わー、みんなすばらしい幽霊となり群舞のなかにさよならなんだ
また、この歌集の広告が雑誌「ビッグイシュー」に、著者ご本人により出稿されていたことがありました。画期的なことだと感じます。
(読書記録)『オルガン 36号』(俳句雑誌、オルガン編集部、2024)
2026.02.11
※編集部から恵投いただきました。ありがとうございます。
発行から2年経過している本ですが、最新号はもちろん当該号も現在入手可能な可能性があると思われるので感想を記します。
印象に残った句:
あの日あの時くだけた安心毛布の端 宮﨑莉々香
→「安心毛布」という物体および概念がとても好きなので、それについてのリアルな感触の句だと思いました。くたくたになるまで大事に(かつ、思うままに)触れて撫でてきた安心毛布は、思わぬ瞬間にその端からほつれたりして、「くだけ」るかのように崩壊して毛布としての体をなくしてゆく(安心毛布から得られる「安心」が弱まってゆく)。
そういう個人的にショッキングなことが起きた瞬間はあとになっても、そのときに見ていた・感じていた匂いや温度や空気を鮮明に思い出せる(かつ折に触れ思い出そうとする)ので、「あの日あの時くだけた」という感じ方にも心当たりがあると思わせる。
湯冷めする音楽息して接近して 田島健一
好きな木の法に従い冬の蜂
夜が葉に伝わり弓弦葉の葉音
→人間の社会と別の秩序や法則に基づいて現象が発生しているような印象を受ける。かつ、音や音波の不思議さや心地良さ(それもあまり聴いたことのなさそうな)を想像させるような句たちだと感じる。
スケートの気がしてさらに読みすすむ 鴇田智哉
→シャーッという音、前に進んでいく動き、空気の冷たい流れだけを立ち上がらせられる句と感じた。
座談会部分の感想、印象に残った発言:
(斜体は本文より引用)
・「宮﨑 掛け合わされているもの、言葉の身振りはすごく冷静に見えるけど、そのなかの主体とか景みたいなものは冷静じゃないよ(以下略)」
・「鴇田 (略)たとえば変じゃない、言葉ってさ。この世界のことを言葉で言えるなんて本当はおかしな話でしょう。(中略)俳句は極端に短いから、「あれ? おかしいよね、言葉って何?」みたいなところが露出すると思うんですよね(略)」
・上記2点の状態や認識であり続けること自体が簡単ではないということを思った。
・喃語俳句というのは、個人的には上記2点を達成しようとする気持ちを持った上で行うハナモゲラ的な言語表出ではないかと思った。
・どの作品を発表しないか考える(作った様々な作品から、発表しないものを選ぶ / 発表するものを一部に限定する)ことで作家性を成り立たせるということは、個人的には何を発表するか考えることより作家性を形作ると感じる。
・「田島 (略)いかに何の理由もなくこまどりでやるんだって決められるかどうか(略)」※「晴れてよく食べるこまどり国有林 田島健一」という句の作られた経緯の話の後の発言
→「何の理由もなく」という在り様にどれだけ躊躇なく居続けられるかが作品の強度の最大値を決める気がする。
・「福田 僕は、俳句のなかに、YAとか児童文学的なものとして読めるものがあまりないことが、ずっと気になっているんです。要するに、俳句から子どもが締め出されている。それは嫌だし、変えたい。」
・「宮本 (略)自分が人前で泣くということは滅多にないので、俳句にしておかなきゃなって思ったんです。(中略)自分の気持ちの動いた体験を経験にするために、実感をもとに作っています。(略)」
(読書記録)『資本主義はなぜ限界なのか 脱成長の経済学』(江原慶:著、ちくま新書)
2026.02.08
・ですます調で書かれた文章で、わかりやすい本です。
・本文フォントは精興社書体です。
・経済成長はし続けなければいけないという、頻繁に言われていてしかしその理由や将来像について正直よく分かっていなかった(今も分かってはいません)言説を、無理が少なくほどいてくれるような内容です。
・経済成長を追求することによって地球環境が人間の生存を脅かすレベルで悪化しているので、それを改善するための取り組みや、それらと結びつくようなインフラ事業を積極的に(全地球規模で/かついわゆる経済先進国とよばれる国々がより献身的に)行っていくことの必要性を説いている。またそれらの事業は完全に民営・市場原理に委ねるのではなく公営(税金を厚めに徴収し、適切にこれらの事業に再配分する)でも維持するべき。
・上記の環境対策や、さらには福祉や文化に税収をどれだけ費やすか、そもそも税金をどのようにどれだけ集めるかという問題は、結局は社会で冷静な議論を行って取り組むしかないことであるが、「経済成長」という言葉に頼ることで私たちはその議論をないがしろにしている。
・企業の環境対策への評価を株式に対する評価にも折り込んでいくことで、脱成長しながらも株価が暴落しないはず。
・現在の税制のまま脱成長を目指すと金利が上昇した際に国債の利払いに耐えられない(一般的には経済成長が鈍ると税収が低下するから)。
・国債発行を増やすと、国債を保有している人(≒富裕層、もしくは経済的弱者でない人)への富の再配分となってしまう
・かつ、利払い能力への不安があるため、国が経済成長できるかどうか(の市場的予測)によって、国の貨幣の価値が大きく左右されてしまう危険がある
・経済成長に頼らず貨幣の価値も下げないでやっていくには、増税と税収の適切な再配分は不可避
・社会の維持や、社会で(経済的その他の)困難を抱える人々を支えながら社会を再構成していくことを、議論し考え実践することが脱成長を目指すことである
・脱成長(および、その帰結としての脱資本主義)しなければ、人間の生活は保たないし、侵略による略奪はなくならない